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恐山 死者のいる場所

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「恐山 死者のいる場所」を読んだ。最近凝っている 南 直哉氏の著作である。


南 直哉 新潮社 2012-04-17
売り上げランキング : 17445
by ヨメレバ



永平寺から恐山の院代(住職代理)になって、結婚もし子供もできたという。
書かれている内容も、恐山に詣でる読者向けなのかどうか、柔らかく味わい深いもの
になっていると感じた。

最初に、「恐山夜話」と題して院代が恐山で行っている法話を紹介しているが、
イタコや恐山に関するエピソードが興味深く面白い。
そもそも、彼はどうして恐山に来ることになったのかという由来から、恐山に
住んでから後の恐山に関する認識の変化。死者への思いを預かる場所としての
恐山と仏教との関係など、仏教と死あるいは死者という非常に深いテーマについて
丁寧にわかり易く説いている。


たとえば、人は死んだらどこへ行くというテーマで、こんなことを書いている。

第一章 恐山夜話 63頁~64頁

修行僧時代、出家してしばらくした頃、ある老僧に仕えていたことがあります。
その老僧は数年前、九十歳過ぎて遷化(高僧の死去のこと)しましたが。
あるとき部屋に掃除に行き、終わって「下がらせていただきます」と頭を下げると、
「おい。おまえ」「はい」「おまえは人が死んだらどこへ行くか知っているか」
と唐突に老師が訊いてきました。「そんなことは知りませんよ」と答えると、
「ほう、おまえは坊主になってもう何年にもなるのに、そんなこともわからんでやっとるのか」
「老師はわかるんですか」「わしはわかる」と言うから、
「へえ、人間年をとると半分死んだ国に行くんですか」と軽口を叩いたら、
「おまえは、そういうことを言うから修行が進まないんだ!」と滅法怒られました。
「すみません。それはぜひ聞きたい話なんで教えてください」とお願いすると、
「じゃあ教えてやろう。よく聞いていろ」
「はい」
「人が死ぬとな、」
「はい」
「その人が愛したもののところへ行く」
老師はそう言いました。
「人が人を愛したんだったら、その愛した者のところへ行く。仕事を愛したんだったら、その仕事の中に入っていくんだ。だから、人は思い出そうと意識しなくても、死んだ人のことを思い出すだろう。入っていくからだ」
さらに、
「愛することを知らない人間は気の毒だな。死んでも行き場所がない」
と続けました。


なるほど。良い先生に仕えられました。
死んだ後行く先は、三途の川でも涅槃でも地獄でもない。「愛したもののところ」
へいくのだ。という言葉が心に沁みてくる。

これは何度でも読み返したい本だ。

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